浦島伝説は、古く「日本書記」、「万葉集」、「丹後国風土記」、「お伽草子」、などにのせられています。日本国内に数多くあり、海外にもよく似た話が残っています。
 ここ京丹後市にも浦島太郎伝説が語りつがれています。浦島太郎は、後世につたえられた名前で、丹後国風土記では水江浦嶋子(みずのえのうらしまこ)となっており、この嶋子を祀る神社が浅茂川の海岸に鎮座する島児神社(※写真右上)です。

 付近には、嶋子が釣った魚を放しておいた釣留(※写真右)という岩場や、嶋子が乙姫様と出会ったという福島(※写真右下)などの伝承地があり、この福島には乙姫を祀った西浦島神杜があります。
 島児神社のほかにも浦嶋子を祭神とする神社として網野神社(式内杜)と下岡地区の六神社があります。

 また、銚子山古墳の前方部側の畑の中には、嶋子館跡と、竜宮から帰った浦嶋子が玉くしげ(玉手箱)を開けた場所にしわ榎があり、顔中しわだらけになった浦嶋子が悲しみのあまり、顔のしわをちぎって投げつけたといわれている木が立っています。
※2004年の台風被害により、一部、幹が折れてしまいました。折れた幹は、加工して網野郷土資料館に展示しています。

 地域の人々は、海の安全と豊漁、良縁を祈願し、今でもお参りしてます。素敵な人に出会えるかも!?

 さらに・・・ 京丹後市の東隣にあります伊根町には日本最古の浦島伝説が語り継がれ、伊根の伝説では、浦嶋子(うらのしまこ=浦島太郎)が、乙姫の化身である五色の大亀を釣り上げ、常世の国に誘われていくという話です。ここに登場する「浦嶋子(うらのしまこ)」を筒川大明神として祀っているのが「浦嶋神社」です。同社には、玉手箱・浦嶋縁起絵巻など宝物がたくさん納められています。

【釣留】
島児神社から右手に築かれた防波堤の先端の岩場に自然の岩で囲まれた潮溜まりがあり、浦島太郎が釣った魚をここに放しておいたと言われています。


【福島】
島児神社から左遠方に見えるこんもりとした丸い小さな島。浦島太郎と乙姫様が、はじめて出会った場所といわれ、ここには乙姫様を祀った福島神社があります。福島沖に沈む夏の夕日は絶景です。


 京丹後市に伝わる
水江浦嶋子(みずのえのうらしまのこ)のお話


昔、銚子山古墳の地続きに日下部氏の屋敷がありました。日下部曽却善次夫婦には子どもがなく、子宝に恵まれたいと百日祈願をしていました。

満願の夜、夫婦は不思議に同じ夢を見ました。神から 「ふたりの願いを聞き届けよう。明朝、福島へ来い」とのお告げです。翌朝、出かけると赤子が置かれており、夫婦は「嶋子」と名づけ大切に育てました。

釣り好きの若者に成長した嶋子は、澄の江での漁のときは釣った魚を一旦磯の「釣溜(つんだめ)」にビクのまま浸けておいたといいます。

ある日、嶋子は福島で大変美しい娘に出会いました。乙姫様でした。ふたりは夫婦の約束をし、小舟で竜宮城へ行きました。

手厚いもてなしを受け3年の月日が経ちました。嶋子は故郷が恋しくなり、帰ることになりました。

乙姫様が「お別れに手箱を差し上げます。再びお出でくださるお気持ちがあるなら、決して中をお開けなさいますな」と美しい玉くしげ(玉手箱)を渡しました。

嶋子は懐かしい万畳浜へ帰ってきました。ところが屋敷に着いてみると、一面が荒野原に・・。竜宮城での1年は、人間界の何十年にもなっていたのです。

嶋子は悲しみ、途方にくれました。その時、玉くしげのことを思い出し、これで数百年の昔に戻れるのではと箱の蓋を開けました。すると中から白い煙が立ち上り、嶋子はしわだらけのお爺さんに。驚いた嶋子は思わず自分の頬のしわをちぎって榎に投げつけました。

その後、嶋子がどうなったかはわかりません。ただ、しわを投げつけたという一本榎は「しわ榎」といわれ、今では姿形を変え、日本海を渡って来る浜風にゆられ寂しそうに立っています。


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